別館・雑記の館

DIY・自作PC好きのなんでも屋。情報処理業界の片隅からお届けする、試行錯誤の記録です。本館の構築が遅れていますが、きちんと建てたいが為です。

いわゆる毒親というキーワード遊びに寄せて

稼働が制限され、稼ぎの方法も縛られて、その内職とか副業とかが一度完全に失敗したのを見越したかのように、それ以外の手段を規制する代わりに、今更ながらという形で、内職はよせいという話になった、もちろん表面の規制は相変わらずだが。

過去に巨大な夫妻の大穴にとらわれてから、それを完了返済するのに何年もかかった。丁度ムーブメントが起こった時に、自分の状態が「他の人が事業で失敗した」後の状態であったため、殆どの動きを制限されて裁量も勿論なかった。そんな時に何故かお気楽にも感じるムーブメントが守り立てられてきたが、勿論自分の為なんておめでたいことではなく、産業振興のための若年者を守り立てる施策の一環に乗っかれ、というものだった。それだけ他の要素がダメだったのだ。でも集団の中に流れの中にいれば基本的に絶えず勝負せずに済み能力評価からは逃れられる、それだけのためにポジションを奪い合う。

たくさんの品性下劣なものをみたが、その最たるものは、全ての流れを能力に拠らず偶々情報として知るポジションを神様から与えられておりながらも流れを自分の実に詰まらない失敗補填のために利用し続ける姿だった。多分これがなかったら、どれだけ条件が複合的に不利でも、最低限の結果は得られていたように思う。

昔から自分のオッチョコチョイを人のせいにする、厄介な所はあった。人がフォローする時に何のためにというのは多分人に言うほどには自分は理解してない、一番まずいのはそれを自分の能力と勘違いしている部分が強くなりすぎていることかも。そして結果的に自分が得ているものは、自分には不充分だと基本的に考え続けている。自分の仕事に誇りを持ったことがない人いますよね。人の仕事への評価は必ず場面と相対性、指示することで得られるプラでの判断がほとんどとなるのは仕方がない。まさか人生に最後にまで自分の失敗の証拠を消すためだけに、他の全てを犠牲にしつつ、全ての活動と予算を費やすなど、それに誘導することが人生の目的にするなどとは、誰が予想できただろうか。もちろん事業など一切やっていない、ひたすら人にお世話になってきた形である筈なのだが、それを自分の幸運、ではなく完全に能力として捉えていなければ、こうした対応には多分ならない。この世の中で最も意欲を刺激しない、ひたすら精神を削り取る課題。無駄に空気ばかり読んで、最近やけにしおらしく振る舞っているのを観る度に、本当に絶望を感じる。

でもそれすらどうでも良いのだが。本当に必要なことにとっては、何一つ解決には働かない。解決するはずもない問題なので、適当に対応する以外はない。そうした問題は結構社会の隅々に行き渡っている。これがこの国の社会の病根の正体であることは、自分はなんとはなしに理解するに至っている、これは物事を推測して予測を立てて計画を練る、社会人全てにとって最も大切である能力に拠らず、経験値と立場上でだが。能力が向上したとは勿論思わない、そうしたのに相対する時間や月日は基本的に何の経験値にもならず、何も生み出すことは勿論無く、人生のポジショリングや場所取りゲームの延長上でのみ意味を持つ。そうでなければただ単に感情を麻痺させて自分の失敗だけ回避して、適度に無理を通すゲームを行い続けるだけだ。そこには人生の真実や今後につながるものは決して無いと、これは断言できる。

もし若い人にいう機会があるなら、こうしたものに乗っかる方々にまず禄な連中はいないので、最大限適当に距離を取っておけ、ということか。まとも人もいますけど、仕方なしに少し関わっているだけです。