別館・雑記の館

DIY・自作PC好きのなんでも屋。情報処理業界の片隅からお届けする、試行錯誤の記録です。本館の構築が遅れていますが、きちんと建てたいが為です。

創作活動に最も大切な部分だけは、何があっても守り通さなければ行けないということ

全然未熟という段階にも到達していないもの技術ですが、写真を続けて良かったと思えるものが一つ、それは創造的な活動についての理解を深められた事かも知れません。
何かしらの感性が大切にされる世界においては、根本に部分においては「自分がやりたいように」やっていなければ、その世界は嘘で構築された世界になってしまう。この例の写真では「世界を切り取る」という言われ方をすることもありますが、単純に写しているだけでは、結果的に世界そのものが「嘘」になってしまうという理解をすることが出来た。これは正しくないかも知れませんが、創造的な活動というものの一番大切な部分を捕らえれたように思うのです。
結果的にその根元部分を塗り潰してしまえば、その行われる労力は基本的に推進力や人を打つ力を失うので、あとは継続力だけになる。根源的な動機が問われる所以だと思います。継続しても、努力しても結果が出ない時。この部分を見直してみることが最も重要であったのだと、ここ一番自分を大切にしてこなかったものとしては能々思い至らされたように思うのです。
創作活動に最も大切な部分だけは、創作的な活動を続けたいのならば、反対要素として例えどんな最もらしい理屈があっても、何があっても守り通さなければ行けないということなのでしょう。
 
昔から自分では、習得は早くないのでとにかく一つのものをコツコツ継続することだけが、達成につながることは理解していたが、昨今の課題はとにかく継続性を全くもてなさ過ぎる。そしてすぐに締め切りが来て流れてしまうことの繰り返し。いい加減にして欲しいのだが、必ずと言っていい程に、前回1~2回前の課題は、次の課題とは全くと言っていい程に親和性がない。これは通常に考えれば半分奇跡と言ってもいい程の確立だが、そうした状況がずっと続いており、終わった後には資金につながらないことと、その資金体力の無さから復習すら出来ないことが繰り返されるバカルーチンである。創作活動に最も適していないルーチン、此処だけにはいい加減にうんざりしているので、このバカルーチンだけは止めて欲しい。というか己の創作性のためにも、このバカルーチンからだけは身を守らなくてはならない。