別館・雑記の館

DIY・自作PC好きのなんでも屋。情報処理業界の片隅からお届けする、試行錯誤の記録です。本館の構築が遅れていますが、きちんと建てたいが為です。

全てが無駄であるとは信じたくないが、結果を得れないことには様々な原因がある

前回、中古でようやく手に入れたキーボードを、時間を掛けて静音改造しました。そこまでは良かったのですが、結果的には何も改善しませんでした。機器は改善したのですが、改善しなかったのは、元々改造する必要性を感じて決断するに至った、身辺の環境でしたが。

キーボード打鍵に、通常では考えられない程に、執拗に付きまとわれる環境なので、相変わらず意味はなかった。というか周囲が明らかに間違ったプロセスを要求する生き物のように、元通りであることを強制した、という言い方のほうが正しいかも知れない。小さな打鍵音であっても変わりなく、プレッシャーを掛け続け、打鍵を悪玉に設えようと反応するプロセスが度々発生することも何ら変わりない。

それに加えて、キーボードの大事なキーが時限爆弾のように自然崩壊。

突然Tabキーが怒涛のように自動連打され、PageDown連打により画面が一瞬にして別世界になる。マルチタブが当然の世界で、毎日削られる時間と精神的な負荷要素として、ボディーブローの様に結構大きい。利便性もかなり欠けている。

結果的に、投資額1万円超、加えて改造工数は何日であったか。

それでも思索活動自体に少しでも独立した自由を得ようと、結構長い間構想していたものを実現できたことは、自分自身の気持ちとしては大きかった。

残ったのは毎日突然、それも結構な頻度で発生するキーボードの暴走。環境は何も改善しなかった。それでも昔よりは明らかに、異物であるITキーボード打鍵音をあげつらおうとする反応は弱まったことはある。これは一つの題目を発現させることで僅かな一歩、前進を見たようにも思う。決して全てが無駄であった訳ではない。何故行動自体を封じようとするかを考えなくてはいけないのは、最も重要な変わらずのこと。

キーボードをとりまく劇場は、今も続いている。