別館・雑記の館

DIY・自作PC好きのなんでも屋。情報処理業界の片隅からお届けする、試行錯誤の記録です。本館の構築が遅れていますが、きちんと建てたいが為です。

オンライン患者会に関心を示さない生死の病患者の死生観と、それに対応する考えと日々

親しい近親者、というか肉親に、かなりの重い病を患っている者がいる。

何ヶ月かに一度、遠距離に検査通院しているのだが、状態には全く変化は見られない。度々伝えているものに基本的な生活からの改善や、これは重いテーマでもあるのだが人生的なものの振り返りについて、こちらの長期的な話も交える形で時々話をするのだが、不思議なほどに関心を持って貰えない。通院している大病院は、そちらの病科では日本有数の権威が有るのだが、調べ物をしていたら、さすがにそうした患者さんをたくさん抱えているので、患者会というものを度々実施されているとのことだった。

病気への関心

その肉親は不思議なほどに自身の病気について関心が乏しく、当初より調査はどちらかというと人が開始しないと始めない所が強く、話題作りも人任せで不思議な所はあったが、長期間に亘っての検査入院の折にも、正直新規業界へ挑戦していた時期に重なっていたので苦しかったが人の生死には変えられず、段取りが悪かったのでこちらでかなりのことを受け持つことになるようなこともあった。長期的な検査入院より帰ってきた後も、症状についての確認しても返答をはぐらかしたまま明確にしないことが度々続いたまま、ただそれからも何ヶ月かに亘って、時々検査のために遠距離通院は続けている。当初は深刻になって、人生の対応や今後についても積極的に話題を振ることもあったが、当人の関心が全く深まるどころか相変わらず日々の芸能や野球の勝敗にしか関心を示してくれず(正直こうした部分は仕方がないと思う半面、理解に苦しむ所もある)それどころかそうした話題をことごとく拒絶して忌避するようになってきた、これが深刻になって怖くなったからではないのだ。病状についての情報は相変わらず説明もなく乏しいままで、当初より全く調査が進展した兆しもない。症状は現状では全く深刻ではないにも関わらず、何しろ病気についての話題を深めることを基本的に嫌がり続けている。ただ本来の病状からして、実際に発症したら死期は秒読みになってしまうのだ。正直、理解が出来ないところでもあったが、当人の反対を押し切り、乏しすぎる資金から半場ご協力頂くような形で空気清浄機を何とか調達して居住区にプレゼントするような形で稼働を続けてもらっている、何故かこれも酷く嫌がられたのだが。

オンライン患者会

患者会は定期的に度々実施されているらしく、昨今の三密の影響もあるか、さすがに日本有数の権威、オンラインだけでの参加も可能であるとのことであった。参加をしやすくするためか、対面のみ・ZOOM参加・どちらも利用と、参加方法も選択できるようになっていた。その近親者は自身の重病について、かれこれ8ヶ月以上も経つだろうか、未だに正式な診断結果を得れていないにも関わらず非常にのんびりしていて、とにかく明確になっているその病状についても関心をほとんど持って貰えない。正直病状について様々に(とっても忙しかった折にも)真剣に調べて回っていたこちらがよく判らなくなる形であったが、日々だけは徒に過ぎている。どれくらい進行しているかも判らないままだ。幸いにしてこちらがWEB会議や面談に参加する機会が度々あり、対処するの方法も解説できるくらいに準備も理解も進んでいることもある。これの良い所は積極的な関与できるような機会を見ておき後で名乗りでるような形での参加も可能であるところだ、WEBカメラも余っている。患者同士の情報交換につながればと入会を、会話に無理に参加しなくてもおそらく眺めているだけでも大丈夫だよと伝えて勧めてみたのだが、相変わらずというか全く関心はないようで、素気なく断られてしまう。

 

 

情報化に関与すること

情報化という点でも昔から、人に説明も実施も作業も「やらせてやっている」というスタンツを取りたがる向きが強かった方なので、ある種仕方がなくその延長かとも思ったりもして対処していたが、こうして改めて俯瞰して考えてみると、傾向としてはよく理解できないところでもある。少し前に、人の生死に関わる業界に所属したことがあり、その時は当然に最後の転職として考えたものだが、死生観というものはその方の素地がはっきり出てしまうところでも有る。相変わらずに日々の雑事にしか関心を持ってもらえず、長期的な計画などについては昔から関心が乏しい所があり、むしろ引っ掻き回すことがほとんどの困った傾向を強く持つ方でもあった。正直、こちたは自身の現状にも全く余裕がなく対応は難しいのだが、人の生死に関わるものなので、当初そうした業界に所属した気持ちも摩耗させる要素ではあるが、改めて自身の生死にも向き合う、そうした機会として捉え直す事が出来ればと、そうした機会に何とかしたいと思う。