別館・雑記の館

DIY・自作PC好きのなんでも屋。情報処理業界の片隅からお届けする、試行錯誤の記録です。本館の構築が遅れていますが、きちんと建てたいが為です。

スマートフォンの怪談・消えるアプリアイコン伝説

そろそろ暑くなってくるので、夏に先んじて一つ怪談を。

スマートフォンを操作していると時々、誤ってアプリのアイコンを消してしまうことがあると思います。これは絶対にゼロにする事はできないと思いますので、人によって頻度が異なってくるくらいでしょうか?

最初の内は、ああ、またやってしまったか、この忙しい時に、と悔しがって心でぼやく程度でしたが、ある時期を境に、これが異常な様相を呈してきました。

同じスマホ操作でも5年前までは、それこそ1年でも1回あれば良いところの誤操作でしたが、最近になってその頻度が、途轍もなく急上昇をしてきているのが判ってきた。4月から4回消えているが、全て「誤操作」だけであったら、流石に自分を信じられなくなるところでもある。

車両でドライブに入る前に、地図アプリのアイコンが丁度消えてしまう、そうしたことは結構な頻度である。そんなもん、間違って指でゴミ箱に入れてしまったんだろ?恐らくそうでしょう、その指摘は多分正しいです。そうして「誤操作での消去」を、半年に満たない間に数え5回以上繰り返すまでは、まさかそんな現象が身近に起こり続けるなんて、完全に信じ込むことは出来ませんでした。それで本日は、認証アプリを集めておいたアイコングループもまとめて「誤操作」で消去していた。同じ消えるにしても、消えて良いものとイカンものの区別ぐらい付いて欲しいもの。

以上、真夏には少し早い怪談でした。この恐怖は貴方のすぐ近くでも、その手の中のスマホでも、起こっているかも知れません・・・尚、このお話はノン・フィクションであり、実際の登場人物とは、完全な検証を行いきるまでは、必ずしも関連があるとは言い切れないものがありますので、ご注意ください。

 

そうした半分冗談のようなお話は兎も角として、一先ずの対策としてアイコンを消さないように、アイコンの移動を制限するモードに、その場その場で即時で切替えることは出来ないだろうか?あまりに度々こうした現象が続くもので問題はかなり深刻なのですが、今度ホームメニューを直してみようかと思います。ホーム画面のロック機能があるもので「アプリの削除」だけでなく「アイコンの移動」制限できるようなホームメニューがありましたら、どなたかご教授ください。でもクレクレ君ではいけないので、取り敢えずはこちらの検証から。それとは別に、メモリやファイルを自動消去するアプリが影響している可能性も検証して、バグ報告も確認しておかなければならない。これまで多忙を理由に検証を散々遅らせてきましたが、結局のところ時間は高く付いてしまった様です。それに流石に、認証コードやパスワードを管理しているアプリアイコンのグループまで消え始めては、他のものとは別の対応が必要になってくるように感じます。

こうした文章もおそらく、もっと慎重に書かなければ自分にあまり良い結果をもたらすことはない。ただ遅々として解決が遅れ続けて焦燥が積もる中でも、何らかの形で書いておかなければならなかったように感じて、敢えて書いてみました。早く勘違いであるという確証が欲しいので、なるべく時間を押して検証を前倒しにしたいと思います。これはじばらく、消去回数の記録といったオカルトなものも含んで、結果報告は必要である様には思います。

しばらくの間、夏には少し早い悪夢からは、自由には成れそうにないようです。

何と闘い、何に勝利し、何を追い求めるか。人生論的な別の何か得体の知れないもの

ビジネスとか、経済的なものよりも、何故「宗教」が浸透したか、という問いかけについて、専らにされる答えがある。最近の主だった、目立った主張や論陣としては「救いを求める思想」などと表現されることがある。

確かに「逃げ」ではあるのだ。今世界を覆い尽くしている理論は、完全に経済理論であり、大量生産/大量消費/大量分析/大量集約である。これは疑いようない事実。これについては、その論を用いる人が、どのポジションに身をおいているか、ということも重要な要素ともなる。

そこではただ「身の置きどころ」を追い求めるという発想でなく、人の論説や何らかの強そうなものに準拠するのでなく、ひたすらにルールや原理にあわせるのでなく、また自分の欲望や利益を遵守するのでもない。色々なルールを知り、その中で「自分なりの何か」~それは正しさであったり、真理の探究であったり、今は見えない何かであったりするかも知れない~に合わせて、それとの擦り合せを元に為されなければ、意味がない。より正しさや探究心に基づくならそれに越したことはないのだが。別の意味があるとすれば、大きく強い物陰に隠れている間に、密かに自分のそうしたものを守り育てていくことだろうか。

ここでも対処する人の現れに違いが出てくるように思う。売れる時に骨の髄まで売り切ることを当面は正しいとする姿勢か、あくまで自分に立脚していなければ売ったり稼いだり出来ないとする姿勢。これは顕著な現れであると思う。特に昨今、ビジネスの鬼になりたいという煽りや願望達成のために、必要以上にそうした価値観を重宝する向きもあるので、唯の傾向であることはきちんと理解しておくのは、それを発言している相手からも当然に如くに、後から言われることだろう。

ひたすらに煽り合い、無意味な先読みで人を攻撃することばかりを要求され、摩耗してく個人、人、人。何に基づく行動なのかも、最初の出どころが何なのかさえ、大半は知ようとすることすら早々に放棄している。かつてない無限の図書館、これだけの叡智が開放されているにも関わらずに、だ。これこそが将に「こんなことがあってはならない」だろう。

色々にぶつかり、悩み、困難が発生することを多く抱えている。そうしたものは勿論、根本や原因に対処するだけではなく、基本と何処かつながった形で完全には切り離されたり忘れ切ったりすることがないよう、どこかで抑えていなかればならないのではと。それに起因した形での努力、計画、思想。そうした展開を行えていなければ、長期的には成長できず、目先の成功は得られることはあるが、その時にその事象から学ばなければ次からは枯れ続けることになる。枯れ続けるものは、表層的に出ているものがどうであれ、他人の価値をどこかで壊し続けていなければ「何かが」立ち行かなくなるのは、おそらく長く生きていれば、もしくは感じる心を摩滅させるか切り去っていなければ、真剣に生きている者は誰もが感じる所だろうか。また当然ともなるが、色々な方向から「何か」を煽り続けていれば、それは例えば罵詈雑言を浴びせられ続ける毎日であったり、SNSの適当に吐き捨てられる言説に翻弄される個人であったり、勘違いから政治的に双方の党派や民族から攻撃/迫害される人であったり、はたまた未熟な子供や大人がネット世論受けばかりを追求することで別の価値や論理感を完全に放棄するようになってしまったり。

ここで昨今、子供の格差が却って拡大しているという背景についても、こうした情報へ迎合や向き合いばかりに躍起になり、自分や大切な人の根本からの接点をおざなりになってしまうこと、そうした向き合い方や接点の持ち方の差異が顕著であるように思う。こうした接点の取り方は、しばしば云われるところでありながら、それが個々人の成長に最も要となる代えがたい要素であることを、全ての最重要部分であることを確りと指摘できているものは、意外に少ないように思うのだ。

そうしたことに翻弄されることでこの根本からは切り離されて成長などは望み薄となる。どうしてもその対象を成長させたくなければ、無意味なノイズを意味ありげに四方八方から煽り続けて、根本となる部分から切り離し続けて辿れないように、辿り方も忘れてしまうようにし続ければ、その対象は何年経っても決して成長できないだろう。

何かすごく子供っぽい理屈にも感じるが、この基本を未だに越えれていないのは、多分ここ何年も、おおもとの部分を進展させるように、それに基づく展開を出来ていなかった故であるとも、またそもそも目先の模倣の手習いばかりに終止して、何も為してこなかった故であるとも感じる。多分であるが、人生で最も大切なことがここにあり、最も尊敬すべき人達はこれが見事に昇華されている方たちなのではないだろうかと。悔やんでも悔やみきれない、痛すぎる教訓なのだ。

たぶんこれ以上「主語」が大きい文章は、今後も書けないような気がするし、基本的には自分にプラスにならず、書きたくもない。が本当に書かずにはいられない時には、もっと確りとした形と文体で、改めて書くことが出来ればと思う。

オンライン患者会に関心を示さない生死の病患者の死生観と、それに対応する考えと日々

親しい近親者、というか肉親に、かなりの重い病を患っている者がいる。

何ヶ月かに一度、遠距離に検査通院しているのだが、状態には全く変化は見られない。度々伝えているものに基本的な生活からの改善や、これは重いテーマでもあるのだが人生的なものの振り返りについて、こちらの長期的な話も交える形で時々話をするのだが、不思議なほどに関心を持って貰えない。通院している大病院は、そちらの病科では日本有数の権威が有るのだが、調べ物をしていたら、さすがにそうした患者さんをたくさん抱えているので、患者会というものを度々実施されているとのことだった。

病気への関心

その肉親は不思議なほどに自身の病気について関心が乏しく、当初より調査はどちらかというと人が開始しないと始めない所が強く、話題作りも人任せで不思議な所はあったが、長期間に亘っての検査入院の折にも、正直新規業界へ挑戦していた時期に重なっていたので苦しかったが人の生死には変えられず、段取りが悪かったのでこちらでかなりのことを受け持つことになるようなこともあった。長期的な検査入院より帰ってきた後も、症状についての確認しても返答をはぐらかしたまま明確にしないことが度々続いたまま、ただそれからも何ヶ月かに亘って、時々検査のために遠距離通院は続けている。当初は深刻になって、人生の対応や今後についても積極的に話題を振ることもあったが、当人の関心が全く深まるどころか相変わらず日々の芸能や野球の勝敗にしか関心を示してくれず(正直こうした部分は仕方がないと思う半面、理解に苦しむ所もある)それどころかそうした話題をことごとく拒絶して忌避するようになってきた、これが深刻になって怖くなったからではないのだ。病状についての情報は相変わらず説明もなく乏しいままで、当初より全く調査が進展した兆しもない。症状は現状では全く深刻ではないにも関わらず、何しろ病気についての話題を深めることを基本的に嫌がり続けている。ただ本来の病状からして、実際に発症したら死期は秒読みになってしまうのだ。正直、理解が出来ないところでもあったが、当人の反対を押し切り、乏しすぎる資金から半場ご協力頂くような形で空気清浄機を何とか調達して居住区にプレゼントするような形で稼働を続けてもらっている、何故かこれも酷く嫌がられたのだが。

オンライン患者会

患者会は定期的に度々実施されているらしく、昨今の三密の影響もあるか、さすがに日本有数の権威、オンラインだけでの参加も可能であるとのことであった。参加をしやすくするためか、対面のみ・ZOOM参加・どちらも利用と、参加方法も選択できるようになっていた。その近親者は自身の重病について、かれこれ8ヶ月以上も経つだろうか、未だに正式な診断結果を得れていないにも関わらず非常にのんびりしていて、とにかく明確になっているその病状についても関心をほとんど持って貰えない。正直病状について様々に(とっても忙しかった折にも)真剣に調べて回っていたこちらがよく判らなくなる形であったが、日々だけは徒に過ぎている。どれくらい進行しているかも判らないままだ。幸いにしてこちらがWEB会議や面談に参加する機会が度々あり、対処するの方法も解説できるくらいに準備も理解も進んでいることもある。これの良い所は積極的な関与できるような機会を見ておき後で名乗りでるような形での参加も可能であるところだ、WEBカメラも余っている。患者同士の情報交換につながればと入会を、会話に無理に参加しなくてもおそらく眺めているだけでも大丈夫だよと伝えて勧めてみたのだが、相変わらずというか全く関心はないようで、素気なく断られてしまう。

 

 

情報化に関与すること

情報化という点でも昔から、人に説明も実施も作業も「やらせてやっている」というスタンツを取りたがる向きが強かった方なので、ある種仕方がなくその延長かとも思ったりもして対処していたが、こうして改めて俯瞰して考えてみると、傾向としてはよく理解できないところでもある。少し前に、人の生死に関わる業界に所属したことがあり、その時は当然に最後の転職として考えたものだが、死生観というものはその方の素地がはっきり出てしまうところでも有る。相変わらずに日々の雑事にしか関心を持ってもらえず、長期的な計画などについては昔から関心が乏しい所があり、むしろ引っ掻き回すことがほとんどの困った傾向を強く持つ方でもあった。正直、こちたは自身の現状にも全く余裕がなく対応は難しいのだが、人の生死に関わるものなので、当初そうした業界に所属した気持ちも摩耗させる要素ではあるが、改めて自身の生死にも向き合う、そうした機会として捉え直す事が出来ればと、そうした機会に何とかしたいと思う。

 

GoogleDriveの容量を解決するための対策としては珍しい、Gmailの自動化のお話

しばらく放っておいた時に、久しぶりに確認してみたら凄いことになるもの。

いわゆるあの「Gmail」ですが、まるで放置しっぱなしの倉庫や、最近掃除していない汚水室を確認しに行くような?気分でしたが・・・すごいことになっていました。まるでGo(自粛

GooglePhotoの容量制限の話も記憶に新しいの所ですが、それとは別に個人的にGoogleDriveの容量がしばらく前から一杯一杯の状態が続いました。アップした写真を時々整理していたのですが、結構写真を撮るので追いつかず、ですが写真はストレス発散?にもなっているので、精神衛生上にも撮り続けたい。分析データを確認した所、容量を占めているのが通常の原因である写真データではなく、実は大量のGmailデータであった事が判明。意外に見落としやすいポイントです、と言っておきましょう。

 

前々から広範囲に情報を集める癖がついているのが災いしてか、溜まっていたメール数が特定のラベルだけでも 84,000 件以上あるものが・・・どうやらスボラ過ぎたようです。手作業では一回に100件づつ消しても、何時間かかることやら判かりません。となればここは当然GASの出番です。

今はネット上に情報が溢れています。取り敢えずサンプルを参考にして、最低数だけでも処理してもらうことにしました。丁度少しだけ、手をのばす余裕ができたので、この際少しだけ片付けておこうと。また今後も整理して片付ける際に自動的にやってくれるものを用意しておけば、間違いなく助かるだろうと。

 

ピンポイントのものも結構ありましたので、参考にさせて頂きました。

note.com

tonari-it.com

 

即席も即席なので、回数を保持しておく仕組みなどは一切なしで、発火トリガーの時間間隔で処理件数を定めておく形でスタートしてみます。

 

【84,804】...【70,214】...【69,829】...

 

実際に処理してみると、やはり凄い。みるみる減って行くのが分かります。
今更ながらですが、これが無料です。

APIの使用には20,000件/1日の制限があります。時間トリガーでは曖昧になるので、制限回数に正確に合わせ、てきちんと回数を指定して使い切るようにしなければ今回問題となっている件数は多いので、また何日かかるか分かりません。

実際の所40回以上実行しているにも関わらず、あまり処理されていなかった。

500件 × 40回 = 20,000件の計算が14,000件ほど。

(Read/Writeで問題ない?)

 

ただこれも正確に何故かを検証しなければ効果が上がらない。実際に使用した時には間隔も短すぎたように思う。ただ制限回数は使い切ってしまった上に時間もないので、また次回に。

積み重ねが効かない日々

多忙が重なり積み重ねが効かない日々が続く。リミットがもう決まっているので焦りはかなり強くなってきている。技術記事も完成させれず、無駄に責任と拘束時間が長い割には、自己の実績には繋がらない仕事の状態で続く。技術記事も進みにくい。

入社一ヶ月後にすぐに新人が入ってきて、全てはその人に合わせた形でスケジュールが組まれていたのがハッキリ判る。ああ言えば上祐な先輩上司に囲まれて何かを証明する為だけのスケジュールで仕事が進んでいく。それに逆らった時にはすぐに待ったがかかるので、よく言えば判りやすいのかも知れない。毎回拘束条件が強く意見は即時反攻と断定され、質問を挟むことも非常に難しい特異過ぎる環境。

加えて単独では全く気にならないのだが、得体の知れない連中が連日行く先々に周囲をよく徘徊しており、気持ち悪いくらいに連動して動いており絡んでくるので、気持ち的には負けそうになる。

どんな状況でも止まらず筆を止めず、努力を怠らないこと。少しでも楽しい筆の進め方を模索していこう。

 

超格安でNFCタグを入手。使ってみたら便利極まりない。新しい技術への好奇心だけは膨らみ続ける。今出来ることは、整備報告書による改善提案。システム構想としての珍呑屋を発揮して、練習材料にする良い機会。無駄にはならない、少しでも自分の経験と乏しい知識が、そこにいる人に何かの財産となり得る可能性を信じて。

施設の応援作業にて

最近は

当面の課題解決として以前より解決に至らなかった資金問題解決のために、同時にこれからの新しい業界挑戦に向けて、経験と学習を重ねる計画を立て進めている。

今回は遠方の応援作業に参加したのですが、ITに多少なりとも詳しいということで機器に接する機会を得た。もちろん詳細は記載できないのですが、大規模で一般の人が出入り自由な状態の施設であるにも関わらず、大勢の重要な情報を扱う機器の無線ネットワークが「ローカル」でなく「グローバル」で構成されていたことに驚いた。流石に指摘すべきかと考えたが、同時にIT責任者らしき方が来ており、ルーターやネットワーク構成に付いて一応確認を取ってみたが、ほとんど知らされていないとのことで思い留まった。そのまま言動を出すことで、現行の現場責任者に単純に迷惑がかかるだけで、加えて結果的には解決には至らないだろうということが容易に判ったからでもあるが。

実際

ITの世界ではよく見聞きする話であり、何だこりゃという設定や構築のシステムが運用されているものが多い。多重請負構造とかエスカレーションとか、マニュアルがいい加減とか。実際の社会で多数の人を束縛する形で運用されるものが、まともに整合性すら取られずに運用されることを見聞きする方がむしろ多い。ただ判らなければ判らないで通せることが多く、素人を名乗りつつ適切なポジションから批判をすることで、最上のメリットを狙う厄介な存在が実は結構いることで、問題の解決が遅れることと面倒な構造に拍車をかけているが、そうしたリスクを最小にしつつ立ち回る方々の数の多さがIT問題を更に厄介にしているのは現場では能々感じるところではある。まあ間違いが指摘されない構造でメリットを得ている者と、実際にはデメリットを被っている者とでは、社会的なステータスも発言力も自ずと開きが出てくるものですが。

ただ

そうした施設での対応をして貰うのは、それだけ厳しい条件に置かれている人に限定して対応してもらった方が良いとも思った。実際に来館されていたのは外国人や曰く有りげに見えてしまう方、またそうした面倒な背景に特に気を使っていないお年寄りとか、そうした方がほとんどであったから。今回の長距離出向は大変でしたが、全体の出来自体は普段より良かったそうで、それがせめてもの救いでした。

 

 

追記 2021.10.21

念のために追記になります。

IT~機器に接する機会を得た~云々という話ですが、唐突にお呼ばれで言った話なので、IT機器を直接担当する話ではなかったのです。仕事の傍らで設定がおかしい事が多い、との現場の意見でIT担当立ち会いの元で触らせて頂いたお話です。ルータログインできないと時間も調査も不足で修正できない、となったのは結果的に良かったのか判りませんが・・・

追加のお仕事が変更になった話

追加で得ていたお仕事が変更となりました。今考えると、無理無体無茶が重なっていたため、外からはどの様に見えるかは兎に角、現状選んだ方向に線路は敷かれていたのを感じるのですが、準備としてやっておくことはより具体的に、明確に自分の名前と実績、所有財産として、ためになる為のものに全力を注ぐべきと、方向性もはっきりしたように思います。

勿論、好奇心は変わらず持ち続けていたい上に、DIYとIot、個人的なPGへの挑戦も並行して、変わらず続けていたいと思います。ただ最も重要視すべき課題が、直接的な備えと、業務知識の調査のためのブログ作成であることは言うまでもありませんが。

その計画も変更になるのは、主な理由は親族の年齢が大きいかも知れませんが、仕事の拡張性と伸びることができる時間は重要な要素です。どこまでやれるか判りませんが、自分でできる範囲で、生活防衛と守備、そして規定の改善可能なものへの挑戦を続けていきたいと思いますと、気持ちの切替までに。